神道と日本人

 なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか・・この点に著者は極めて日本的な事象を見出している。
 「外来の神」であった八幡神が、「八幡大菩薩となることによって、神道の神であると同時に仏教の仏としての地位を得ることになった」「応神天皇と習合して皇祖神の地位を確保し、朝廷の信仰を集めただけでなく、」「武神として朝廷を補佐した武家の信仰をも集めることとなった。」さらに最終的には「各地で一般の民衆が八幡神を勧請して、地域の氏神として祀ることに発展していく。」
「近世まで続く神仏習合の時代の象徴的な存在であり、その分、日本人全体の信仰を集めることとなった。」と指摘される。

 現在、毎日新聞に「いま靖国から(戦後70年に向けて)」という記事が連載されている。この数回は東条英機の孫東条英利を追う。6月6日付では「東条氏の話はいつも通り『神道=日本人らしさ』に始まり、神社のうんちくと・・」とある。
 そう、問題はこの「神道=日本人らしさ」をどのように捉えるかということだ。
 先ほど、著者が「近世まで続く神仏集合」と書いていることを引いた。この著書は八幡、天神、稲荷・・と日本の神のそれぞれの歴史を紐解きながら、すべてに共通する「断絶」として明治政府による「神仏分離」「廃仏毀釈」に触れざるを得ない。
 そのあとに来るのが「明治流神道」(これは私の造語)である。
 靖国神社などは、明治流神道の典型であろう。
 そこには、「日本」に長い間育まれてきた豊かな信仰とは別のものが存在する。
 あ、いかんいかん。ついついそちらに話が行ってしまう。

 伊勢、出雲、春日、熊野、祇園・・・最後にはわが瀬戸内の大山祗神社にも少しだけ触れてある。必ず私たちひとりひとりに馴染みのあるこれらの存在を、豊かな歴史として解き明かしてくれる。
 日本人の教養として不可欠のテーマと考える。