最後の親鸞

最後の親鸞 (ちくま学芸文庫)

最後の親鸞 (ちくま学芸文庫)

五木寛之の「親鸞」は新聞の連載で読んだ。著者が「時代に呼ばれ」て書いたという。とても面白かった。
そして吉本隆明のこの著作は、1980年ころに書かれたものの文庫化。どれくらい売れているのだろう。
1990年以降の吉本隆明はとても残念な気がしているが、かつて若者たちにすごい人気だったことを忘れることはできない。その人の「親鸞」。「横超」や「契機」など、「知識人」好みの取り上げ方がされている。これはこれで興味深いが、なんと言っても次のところ。
 「そこに当然、人間存在一般に施さるべき『大経』の『五悪』の意識を、自己懺悔に変容させた浄土真宗の真髄があった。たれも・・・この世界の相対性を、自己の相対性におきかえて唱ったものはなかった。いいかえれば『大経』における現世の重さを、おなじ重さで個人のうえにのしかかる重荷だとする認識に到達したものはなかったのである。」
 ここは、日本における思想・哲学の系譜の中にはずせないところだと考えるのは、シロウト考えだろうか。いや、少なくとも著者はそんな気持ちで、現代につながる命題としてこの著作をなしたのだと、僕は読んだ。
 変化の時期だからこそ、思想や哲学はもっともっと大切にされなければならない。