イタリア

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本

 12月に開かれた大熊一夫さんの講演会を聞いて、会場で購入。サインもしていただいた。なにより、著者の熱意が込められた本。書くために書いたものではない。そこがいい。
 ここで僕は若いころよく議論をしたユーロコミュニズムに再会した。そして、当時とはまったく違う印象をもった。そのことは同時に、イタリアの社会・政治について多少近づくことができたということかもしれない。
 フランコ・バザーリアという精神科医をリーダーとする改革派が、トリエステという街から始めてイタリア全土で精神病院を解体し、同時に地域に精神保健医療の仕組みを作り上げてゆく過程が詳しく報告されている。そこでは、イタリア共産党社会党の影響を受けた(いや、逆かも。それらに影響を与えたといったほうがいいのか)医師や専門家たちが地方政府の精神保健行政の中心のポストに座り、大胆な改革を実行していったのだ。
 これ、ちょっと日本では考えられない。とても自由で開放的な印象を持つ。そういえば「社会実験」という言葉が日本にもあるが、高速道路の料金を多少変えるだけでも大騒ぎになっているのと比較してほしい。
 もちろん、精神病院解体も一本道では進んでいない。長い時間をかけ、当然ゆり戻しも繰り返しある。しかし、実際に紆余曲折を経て経験を蓄積してゆくところがすばらしい。精神病院をなくして、自らを「マット」(つまり狂人)と公言する人たちが街で暮らしても、犯罪が増えたりはしないのだ、と。
 僕たちの若いころのユーロコミュニズム論議は、こんな社会や政治、制度のあり方の違いをあまり意識してなかった。それでは理解できるはずもない。
 イタリアを礼賛したいわけではない。しかし、日本社会の硬直性にあらためて気づかされ、そして憂鬱な感じを抑えきれない。いつか変わるのだろうか。変わるよね、きっと。変えなきゃね。