「フクシマ」論

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

東大の若手研究者の修士論文として書かれたもの。
今年1月に提出された論文が、「3.11」によって脚光を浴び、少しの加筆によって出版された。
「3.11」は確かに大震災であり、原発の大事故を招きもした。そしてそのことが、それ以前に日本社会に内在し積み重ねられてきた様々なものを一気に日の目に晒すことになった。
それは、負の意味では国の中央における「原発ムラ」の実態であったり、また、首都圏における帰宅困難者をめぐる混乱、準備不足であったりした。しかし負の面だけではない。地域においては、積み重ねられてきたつながり・ネットワークが目に見えて活きたこともあった。
この論文はもちろん「3.11」など想定せず、極めて地味な取材と研究作業をもとに結実したものが、表に出ることになった。
地域における「原子力ムラ」の生成・発展・行き詰まりを見つめることを通じて、戦後日本社会の変化と原発の存在を重ねて総括しようという力が、若い研究者の中に生まれていることを、僕たちは知ることになった。

放射能の危険の問題もある。これからの脱原発をどのように進めるのかということもある。それらのことを考える上でも、戦後の日本経済の発展と、エネルギー政策、その柱となった原発推進が深く結びついていることを考える必要がある。福島出身の著者は、福島における「原発ムラ」(中央のムラではなく)の生成を歴史的に総括することでその構造を明らかにしようとする。
僕達が否応なく歩んできた戦後の日本のありようを、あいまいな追認で片付けるのではなく、重い歴史的事実として受け止めること。単純にいいとか悪いとかではなく、批判的に受け止めること。その点では著者が国内の社会科学の良識をしっかり受け継いでいることも、読めばわかる。

ミネルヴァの梟は黄昏の中に飛び立った。私たちは収束に向かう余震の中でも放射性物質と停電の闇がもたらす不可視な恐怖から逃げることなく考え続けなければならない。それは戦争ー成長の時代がいかなるものだったのかという問いであり、それが抱えてきた陰影が明確な形を持って私たちが生きる社会に抱擁を求めてくることをいかに受け入れるべきかという問いでもある。」(著者)

若い著者の活躍に期待したい。