いつかロロサエの森で

いつかロロサエの森で―東ティモール・ゼロからの出発(たびだち)

いつかロロサエの森で―東ティモール・ゼロからの出発(たびだち)

「カンタティモール」上映会で買い求めた。作者の南風島渉さんも来られていて、言葉をかわすことができた。
締めくくりにこうある。
「私たちが犯してしまった犯罪は、もはや決して贖うことはできない。しかし、そこに立ちすくむこともまた許されない。前へ進むこと。何よりも私たち自身のありようを見つめ、為すべきことを模索すること。『どうせ世界は変わらない』などと吐き捨てず、あるべき未来を信じて進み続けること。それこそが、東ティモールの人びとが私たちに教えてくれたことではなかっただろうか。」
すべてがここに言い表されている。
ただしこれは、著者の命がけの取材行動の何年もの積み重ねの上にでてきた言葉。
そして、読むことによって、すべてではないが、その一部を共有することが僕達にはできる。

東ティモールで起きたこと、現実。日本という国と経済の果たした役割。
「知らない」で済ませること、「知らない」の上に僕たちの未来を構想することは、許されないと考える。

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「われわれは闘いのなかでテロリズムという手段は執らない。・・・それは犯罪であり、非人間的な行為である。・・・われわれはスハルトに対して闘いを続けている。だがそのために、そのほかの不特定多数の人間を殺すことはできない。」
・・・「ハウ・ラコイ・フヌ。テトゥン語で『私は戦争が嫌いだ』という意味だ。タウルはインタビュー中、何度となくこの言葉を口にした。戦争が大嫌いな軍司令官。そんな彼を象徴する面白いエピソードがある。・・・」
たくさんのことを学ぶことができる著書でもある。