街場の文体論

街場の文体論

街場の文体論

大切なことが滞りがちの自分を励ます。
「無垢で中立的なエクリチュールは可能か」と著者は問いかける。
エクリチュールはローカルな秩序であり、ローカルな宇宙観であり、つねに(集合的なしかたではありますが)主観性を露呈している。はたして、いかなる主観性とも無縁なエクリチュールというものを構想することは可能でしょうか。」と。
それからそれから続いて、
「宣言を規定している『リーダブルでありながら、前代未聞のことを語る』という矛盾した要請に応えるという課題をどこまで強く意識しているか、・・」
と。
この基調はもちろん著書全体を貫いている。
できないよ、なかなか。
でも、感覚的にはいつも無意識に保持してきた感じと似ている。
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それが最近、鈍ってきていた。
言いたいことの3割くらいしか言えてない感覚。
現状がこうなんだから、それでよしとする感覚。
それはダメよと、励まされる。
もっと、言葉を、そして自分を大切にせよと。
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「言語は道具ではない」とわかりやすく指摘される。
「外国語の学習というのは、本来、自分の種族には理解できない概念や、存在しない感情、知らない世界の見方を、他の言語集団から学ぶことなんです。」
こんな当たり前のことを忘れて、TOEICに駆り立て、駆り立てられる。生きてゆくためには仕方ない?大切なことを忘れた生き方にどんな意味があるの?
言葉と身体の緊張関係から、言葉が生まれてくる。
これも実感どおり。

世の中も自分もあきらめきれない人におすすめの著作。