秀吉と海賊大名

松山の老舗明屋書店の郷土コーナーで見つけた。
副題に「海から見た戦国終焉」とある。
海から見た、と言うよりは、滅び行く者たちから見た、といったほうが僕にはぴったりくる。
「日本」がここまで来る過程で、実にたくさんの人びとが、地域が、文化・風俗が滅ぼされてきた。
戦後の高度成長によって滅ぼされたものも数知れない。いまはまた「フクシマ」が「棄てられる」危機に直面している。
僕は、戦後のこの日本という場所に生まれて、幸せだったと思う人の一人だ。政府に異を唱えても、選挙で負けても、殺されることのない社会。戦後民主主義をとても肯定的に捉えている。
でも、歴史のこの段階に来るまでに、どれだけの人びとと地域が滅ぼされてきたのか。それは、失われて当然のことだったのか。あるいは、失われてはならないことだったのか。
「郷愁」でもなく、あるいはただの「世渡りの知恵」でもなく、歴史を知ることは、どういうことなのか。
瀬戸内を跋扈した海賊、海民たちを滅ぼしてほしくなかったと思う。滅ぼすべきではなかったと思う。
しかし、信長、秀吉の統一国家は、そんな作業なくしては成り立たず、それは現在に至る不可避の道筋だったのだ。
「ただし、天下統一から幕藩体制成立の過程を単なる軍事統一とみるべきではない。それを通じて、中世的な領主権が否定され、天下人が諸大名に領地・領民・城郭を預けるという基本原則、すなわち近世的知行制度が強制的に導入されたことこそ重要である。海陸を問わず国土領有権を武家政権が掌握し、領地思想を背景とした大名の官僚化と仁政にもとづく地域支配がめざされたのである。」
そして「江戸時代の四国は、さながら植民地状態だったといってよい。」と、愛媛出身の著者は淡々と書く。歴史的変化とは、新しいものが古いものに取って代わることであることは、冷厳な事実で、僕も今の時点での古い政治を終わらせようとしている者の一人ではある。
しかしそのプロセスにおいての歴史的進歩というものもあるのでは、とか。
いろんなことが頭をよぎり、ぱたんと安心して閉じることのできる読書にはならなかった。
最低限、滅ぼされた人びととその生活・文化を忘れ去ることだけはあってはならないと、自分に銘じる。