海に生きる・・海人の民族学
- 作者: 秋道智彌
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2013/07/18
- メディア: 単行本
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ひとつには、「海人の活動を生態系のなかで位置づけるのである。」
そして、大きくは「海の問題」の「研究と総合化」をはかる、そのためのステップとして書かれたものと理解する。
例えば僕が田舎に帰って漁師になりたい!と願ったとする。実は以前から密かに温めている夢のひとつなのだが、それは実現可能なのか?まず、船はどうするのか?いくらでどんな船が買えるのか(ネットではもう調べてある・・)、だがこれは、どんな漁をするのかによって変わる。どんな漁か、それはどんな魚が瀬戸内の風早の海にはいるのか、それとも少し遠くにでなければならないのか。つまり瀬戸内の生態系はどうなっているのかが問題になる。加工用の魚か、貝類?刺し身や煮魚用?・・・そして、なんといっても漁協に入らねばなるまい。趣味の釣りなら許されるが、生業にするにはモグリでは無理だ。漁協には新人は入れるのか・・多分困難か?そうすれば時期によって漁の解禁、禁漁が詳しく決められているであろう。それにも当然従わねばなるまい。養殖をやるのか?いいやそこへの参入はもっと難しいにちがいない。潮の流れはどうなっているのか。海はキレイになっているのか、温暖化の影響は?
と。これは生態系の理解であるとともに、営々と人びとが営んできた漁業のなかで作り上げられてきた自然との関係性、人と人の関係性をすべて反映されたものと理解せねばなるまい。そしてTPPや震災復興の絡みでの「規制緩和」。企業が漁業に参入すればどうなるか。当然このことも避けては通れない。
僕は、仮に漁師になれなくても、海を豊かにする活動にはいつか関わりたいと思っている。三陸の「森は海の恋人」のように。
日本は、海洋国。しかしその海洋観は非常に切り縮められてはいないか。曰く「尖閣は日本のものだ!」曰く「津波を防ぐには大堤防が必要だ」曰く「これからは企業の漁業が必要だ」とか・・・あーーーーーついつい書きすぎてしまう。こんな貧困な海洋観を脱すること。
海の豊かでとても大きな生態系への理解。人間が海と関わって生きてきた長い歴史。魚をとるだけでなく、交易、経済を考える上でも欠かせない、社会の歴史。漁村、漁港の人びとの暮らしの実際。それぞれを知ること。
そして著者はその上に、それらを総合することが極めて大切だと主張する。
「(津波からの)復興を統合的に実現することは、沿岸域の総合的管理(ICM・・インテグレーテッド・コースタル・マネジメント)といいかえれば、統治のあり方に帰着する。・・・およそ次のような見取り図を描いておくこと・・・第一に、森里海の連関を保全・維持する立場からの計画立案・・・第二に河川流域における防災と環境保全・・・海岸部の埋め立てや盛り土、防潮堤建設などが自然の循環を破壊しないよう・・・」あらゆる官庁・組織の連携と協働が不可欠だと。それが「科学」だと。
うまく書けなかったけど、僕もこの著書に賛同する一人だ。
「海に生きる」とは、海とともに生きること。